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| 〜近世から現在に至る東灘区略史:だんじり祭りを中心として〜 |
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近世から現在に至る東灘区略史:だんじり祭りを中心として
大阪湾岸地域一帯には、全国的には山車や屋台などと呼ばれるものと同系統の「だんじり」と呼ばれる特別な曳きものをともなう祭りが、数多く分布している。大部分の小地域社会は、明治維新前の封建制度期の小さい「ムラ」単位にまで遡ることができるが、それぞれの小地域に固有の、伝統的な「だんじり」がある。もちろん、「だんじり」とは関係のない小地域の祭りも、たくさん見られる。しかし、我々の問題を解くために、まず、我々の大学が位置する神戸市東灘区の小地域における祭りと地域の歴史を、7等分に区分して簡単に述べておきたい。
1) 徳川時代(1867年以前)
生活様式:階層型地位社会、小域内での相互協力、相互監視
社会意識:身分制の枠内における勤勉を社会的徳目とする
社会的価値:自然環境との調和、社会ネットワークの成立
地域の祭り:社会的な義務としての小地域の祭り
小地域における祭りの興隆(「だんじり祭り」も始まる)。生活において楽しむ好機(小地域の男性だけが参加できた)であった。(小地域の政治的、社会的秩序を反映)
2) 明治維新期(1868-1899年)
生活様式:個人の経済的成功、出世。人権の平等
社会的拘束から解放されるための努力。個人的成功の追求
社会意識:富国強兵。社会的目標としての開発と勤勉
地域の祭り:簡素な祭りの要請(国家統制のもと、いわゆる原型の)。国家的イベント明治政府の任命した知事の、祭りを簡素にせよという命令に背き、「だんじり」は、ますます豪華になっていった。(国家や政治的、社会的秩序に対する人々の反発)
(しかし、まだ男性の地域居住者のみが祭りに参加できた)
3) 第二次世界大戦前の時期(1900-1945年)
生活様式:個人の経済的成功
社会意識:国家への奉仕
社会的目標としての勤勉。天皇の命令に対する服従
地域の祭り:社会的義務としての祭り
祭りへの参加は、家の名誉。神道の祭りを上下(権威主義的)に位置づける。
「だんじり」への帰属意識を通して、小地域間の競争意識
(男性地域住民の社会的義務とレての祭り意識が消えていくところもあった)
戦争(1944-5年)の間の祭りの停止
4) 第二次世界大戦後の10年間(1945-1954年)
生活様式:急激な変化(制度、法律、家族法、憲法、個入の権利など)
ただし、貧しくはあっても、自然と社会的な環境は残っていた。
社会意識:ニヒリズムの蔓延、反権威主義的感情、生活の再建
地域の祭り:楽しみとしての祭り、小地域の「だんじり祭り」の復活
小地域の象徴(社会的義務としての地域アイデンティティの強制への反動)の再建
5) 高度経済成長期(1955-1975年)
生活様式:余暇社会(大イベント:東京オリンピック大会、Expo。70等の実施)
地方から都市への急速な入口移動、モデルとしてのアメリカの生活様式
個人だけでなく、家族の経済的成功(マイホーム主義)
社会意識:個人の権利、社会目標としての勤勉意識の再建
地域の祭り:社会的な重荷としての祭り
いくつかの「だんじり祭り」を含む、小地域の祭りの消滅
6) バブル経済期間(1975-1992)を含む近代化終了以降の時期
生活様式:土地への投機的投資、余暇生活、理想としてのアメリカ生活モデルの消失
社会意識:安易な生活を楽しむ、社会的目標の喪失、新しい価値を求めて
地域の祭り:小地域の祭りの復活(都市地域)、日本型モデルへの回帰
だんじり:女性、地域外住民、外国人たちの参加可能性
個人のアイデンティティ危機に対する社会的な反応
7) バブル経済崩壊後の時期(1993年-現在)
生活様式:生活様式の多様化、1ターンやUターンする知識人たち
若いベンチャー企業人、会社外での自己表現
社会意識:社会的無感動(政治への不信に基づく)が社会全体を覆う
安楽な生活、部分的な秩序、反一権威主義(家族、学校、及び、社会において)
地域の祭り:小地域間のネットワークの核としてのだんじり(だんじりHPの人気)
(より民主的で、機能的な運営方式に向かう)
70年代以前の期間に関して
ともに9世紀に起源を持つ京都の祇園祭や大阪の天神祭のように、日本には小地域の祭りの長い伝統がある。それらは、全国的に知られており、百万人以上の観光客を集めているにもかかわらず、京都市や大阪市全体の祭りではない。また市の中の下位行政単位である区の大きさを持つ祭りでさえない。それらは、住民が歩いて回れる範囲の小さなコミュニティの祭りなのである。小規模のコミュニティにおいては、住民がその小地域の一部を形成しているという認識をもつのは、簡単である。日本の小地域には、ほとんどの場合、神社がある。その意味においては、日本は神々の国であると言うことができる。
神戸、大阪地域においても、もちろん、多数の神社がある。そのほとんどの神社で、だんじり祭りのような、小地域の祭りが行われてきたのである。明治維新後、政府は神仏分離令(1868)を発令し、古事記、日本書紀の神話に基づいて、神々を階層的に位置づけ、神道を組織化する政策をとった。急速な近代化を課題としていた明治政府は、ヨーロッパ諸国にならい、神道を西洋諸国のキリスト教にあたる精神的支柱とすることにしたのである。幕末期の国学者の影響により、明治政府のエリートたちは、素朴に神を信仰する「惟神(かんながら)の道」こそを、日本の伝統であると考える傾向があった。明治政府任命の知事は、しばしば地域の祭り参加者による豪華な風流の献納を禁止しようとした。地域住民は、単にその命令を無視するだけの場合もあったが、知事辞職運動に発展したことさえあった。この時期、国民は政治権力に対して、反発することもできたのである。
たくさんの自発的参加者がみられるという意味で、多くの小地域の祭りは、狭い意味でもイベントではなく、祭りだったのである。19世紀から20世紀への転換期に、日本政府は神社統合令(1909)をだし、地方の無数の神社と神々を中央集権的な秩序のもとに整理統合する政策を推し進めた。それまで地域で息づいてきた祭りが廃止されたり、廃れてしまい、かわって地域行政府のためのイベント的な行事が行われた。
第二次大戦後、多くの小地域で、住民の熱望から、たくさんの祭りが復活を遂げた。当時の住民たちは、祭りを、彼らのコミュニティ再建のシンボルとみなしているように見えた。しかし、高度経済成長期に至り、日本社会は急激に、しかも大きく変わった。人々はものの豊かさを求めて働くのに忙しくなった。きれいで便利な西洋の品物がいっぱいあった。映画やテレビ番組も、魅力にあふれていた。観光旅行もしたかった。
この期間、大規模で華やかな国際的イベントも、たびたび行われた。そのために、小地域の祭りに対する関心は、人々から急速に失われていった。祭りは、しばしば住民を縛る、面倒な社会的拘束とみなされることもあった。多くのだんじりが、この時期に町中から消えていった。
しかし、その高度経済成長期も終わる。オイル・ショックを経て、低成長時代に入った。この時期は、人々が自分の人生や初着方を見直す機会にもなった。西洋型の生活モデルを追求してきた後に、人々は、かつて捨て去ってしまった日本的伝統の価値を見つけた。男女、老若、地域住民と地域外住民、日本人と外国人との間に、平等(反権威主義的)な関係を作る喜びと同時に、伝統を復活させる手軽なやり方を発見したのである。
これこそが、この時期に、国際(民際)的な祭りが登場し、伝統的な小地域の祭りの復活がみられた社会的背景なのである。
2007年 12月15日 文学部社会学科 森田三郎
出典:森田三郎 編集「小地域の祭りにおける日本的伝統」(甲南大学平生太郎基金調査報告書『祭りとエスニシティ −都市コミュニティを祭りから探る−』甲南大学文学部森田研究室
2002年10月)
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